イチローさんの活躍や最新トピックス、
ユンケルのプロモーションなどをご紹介します。
日本球界初の200安打達成(210安打)。7年連続首位打者。日本球界に数々の金字塔を打ち立て、打撃タイトルを欲しいままにしてきた「ICHIRO」が、ポスティングシステムを利用してシアトル・マリナーズへ移籍、デビューした。MLBという世界最高峰の舞台でイチローの打撃が通用するかについては疑問視する声も決して少なくなく、日本人野手初のMLBプレーヤー誕生は、日米の野球ファンから多くの注目を集めることになった。
本拠地セーフコ・フィールドで迎えた2001年4月2日の開幕戦、1番打者としてスタメン出場を果たしたイチローは、7回に記念すべきMLB初安打を放つと、8回にはバント安打でマルチ安打(1試合2安打以上)を記録。「一生忘れられない日になりました」と、普段はクールなイチローもこの日ばかりは感慨に浸った。
その後も、イチローの活躍は凄まじかった。4月11日、オークランドでのゲームで、右翼から三塁へ返球した矢のようなダイレクト送球に思わずアナウンサーが絶叫した「レーザービーム」は、イチローが誇る強肩の代名詞になった。不安視した周囲をあざ笑うかのように、バットからも安打が量産され続ける。6月21日にはついにアメリカンリーグの打率トップに躍り出た。この時点で、安打数、得点、盗塁もリーグ1位。米球界全体が、イチローの実力を認め始めていた。337万票を獲得、史上初となる新人最多得票でオールスター出場を果たし、アメリカンリーグの1番打者としてスタメン出場。シアトル・マリナーズ時代、イチローと同じ背番号「51」だった世界一の左腕ランディ・ジョンソンとの対戦も注目を集めたが、1塁内野安打でイチローに軍配が上がった。
9月11日にニューヨークで同時多発テロが起こり、数日間試合開催が中止となったが、最後までコンスタントな活躍を続けたイチローは、1930年のビル・テリー(サンフランシスコ・ジャイアンツ)以来、当時歴代9位となる両リーグ最多の242安打を放った。MLBのルーキー最多安打記録を更新し、アメリカンリーグの首位打者、盗塁王のタイトルを獲得。シアトル・マリナーズが記録したMLB新記録「シーズン116勝」の原動力となったイチローは、新人王のみならずMVPに輝いた。
日本野球史上最高傑作ともいうべき安打製造機の米輸出劇。その1年目は、期待に応えて余りある華々しい活躍と数々の大記録に彩られた衝撃的なデビューイヤーとなった。