ユンケルの開発秘話や“空前の大ヒット製品”となった経緯など、
ユンケルの歴史をご紹介します。
ユンケルが誕生したのは、あの石原裕次郎がデビューした昭和31年。「強くなるクスリ」というキャッチコピーで登場したユンケルは“働き盛り”を応援する新発想のクスリでした。
当時のユンケルは、中年期以後の健康保持や老衰現象をターゲットにした総合保健剤として発売されていました。
「ユンケル」が初めて登場したのは、日本が高度経済成長へと急進し始めた昭和31年のこと。ホルモン、ビタミン、ミネラルなどを配合した強壮剤「ユンケル」は、まさに時代を先取りする新発想でした。当初は缶入りの錠剤タイプで、その用法は2種類の錠剤をペアで服用するというもの。"強くなる薬"をキャッチコピーに中老年期の総合保健剤として売り出しましたが、映画の入場料125円、コーヒー1杯50円だった当時、60錠700円の「ユンケル」はやはり高価な薬というイメージがありました。メーカーの顔となる主力製品を模索していた当社は、このユンケルにさらなる効き目と即効性を求め、生薬配合の液剤研究に力を注いでいきました。
「ユンケル黄帝液」がベールを脱いだのは昭和42年。生薬の特性を活かした滋養強壮ドリンクは芸能・マスコミ界から火がつき、昭和54年以降のテレビCMによってユーザーのすそ野を広げていきました。
プロボクシング元世界チャンピオンの疲労回復ドリンクとしてPR。あのユニークなキャラはまだ封印されていました。
プロボクシング元世界チャンピオンの疲労回復ドリンクとしてPR。あのユニークキャラはまだ封印されていました。
ユンケルの誕生から11年後の昭和42年10月、当社は生薬の特性を生かした滋養強壮ドリンク「ユンケル黄帝液」を送り出し、生活改善薬の有用性を世に問いました。満を持してデビューした「ユンケル黄帝液」は、その独創的なコンセプトで会員店の評判になり、“知る人ぞ知る 男の秘薬”として一部の固定ファンを獲得。強壮剤のイメージが強かったことから大ヒットには至りませんでしたが、斬新なネーミングによってユンケルの知名度は格段にアップし、次なるステージへの基礎を築きました。この当時、ユンケルが注射液のようなアンプル形式で販売されていたことをご存知でしょうか?ユンケルフリークの人たちはこれをパキンと割って飲むスタイルにも独特なダンディズムを感じていたとか…。そうした熱烈なファンの人々、そして会員店の努力によってミニドリンク市場No.1ブランド「ユンケル黄帝液」の礎は築かれたのです。
強精強壮剤として着実にファンを増やした「ユンケル黄帝液」は、その後、芸能界の人々の間で話題となります。そして噂は業界人ばかりでなく作家、漫画家、編集者の知るところとなり、「疲れたらユンケル」が合い言葉のように使われ始めました。やがて初のシリーズ製品「ユンケル黄帝ゴールド」(昭和52年)が発売される頃になると、ユンケルは週刊誌やテレビでも取り上げられるほどの注目ドリンクに。さらにガッツ石松、山城新伍を起用したCM効果によって、ユンケルはスポーツマンやサラリーマンにも飲まれるようになっていったのです。
Mr.ユンケルこと「タモリ」がCMに登場。数々のユニークCMとラインアップの充実で、ユンケルはたちまちミニドリンク市場No.1ブランドへ。平成11年には、コンビニエンスストアにも登場。
数々のユニーク作品を送り出し、ユンケルをメジャーブランドへと押し上げた立役者。
「ユンケル黄帝液」大ヒットの立て役者といえば、"Mr.ユンケル"ことタモリです。以前からユンケルファンだった彼は、当時のテレビ番組の中で"ユンケル黄帝液による風邪治し体験談"を披露。これがきっかけとなってユンケルCMのキャラクターとなり、昭和60年、記念すべきタモリCM第一作が放映されました。「疲れがタモレば、ユンケルだ」の名セリフで注目を集めた第一作に続き、タモリCMは以後16年間にわたって毎回ユニークなストーリーで話題を集めました。これによってイメージを一新したユンケルは、女性や学生など新規ユーザーを数多く獲得し、空前の大ヒット製品となったのです。
1980〜90年代、当社は海外に市場を拡げる一方、国内では自社製品の開発に力を注いでいました。この間、ユンケルはタモリCM(1985年より)の効果でミニドリンクNo.1の地位を獲得しましたが、日本がバブル経済の絶頂期を迎える頃になると、市場にはライバルとなる他社製品が続々と登場。そうした中、1994年に品川研究開発センターを設立した当社は、生薬それぞれの薬理効果を科学的に検証することによって組み合わせのバリエーションを増やしました。こうしてユンケルは、現代人が抱えるさまざまな疲れに対応できるシリーズへと進化していったのです。
21世紀が幕を明け、ユンケルのCMキャラクターもイチローへ世代交代。生薬の効果を科学的に証明したユンケルシリーズは、海を越えて世界のさまざまな人に愛されるようになりました。
2002年1月、イチローを起用した初めてのユンケルCMがオンエアされ、業界とお茶の間に衝撃を与えました。働き盛りの中高年をターゲットにしてきたタモリCMからイメージを一新したイチローCMは、スポーツシーンの向こうに若者、女性、子供、さらに海外市場も見据えたものでした。その後、輝かしい記録を達成しつづけるイチローとともに、今まで以上に幅広いユーザー層へ認知を広げたユンケル。2002年には、トップアスリートとしてのイチローをイメージした『プレミアムシリーズ』が誕生し、“がんばる前に飲む”イチロー流のユンケルスタイルが好評を博しました。
ユンケル誕生から48年。滋養強壮ドリンクという新しいカテゴリーを開拓したユンケルは、世界をめざす新たなステージを迎えました。その口火を切ったのが、2004年秋に登場した統一処方の海外向けユンケルです。これは、より本格的な処方を求める海外からの声に応えたもので、処方のベースは日本で最も売れている「ユンケル黄帝液」。他に類を見ない独自性の高さを世界市場にアピールする一方、国内市場においては“疲れのタイプ”にフォーカスした『ユンケルターゲットシリ―ズ』が登場(2008年)。国内外を問わず複雑化・多様化する疲れのニーズに即応し、ユンケルは世界中のすべてのお客様にフィットする1本をめざして進化をつづけています。
現在はユンケルロイヤル黄帝、ユンケルファンティの2種のみ販売しています。
現在はユンケル黄帝ロイヤル2、ユンケル黄帝L40DCFの2種のみ販売しています。
時代は平成から令和に。働き方改革の推進やミレニアル世代の活躍とともに、人々の生活に対する価値観も変化。
さまざまな“疲れ”に向き合ってきたユンケルブランドに、毎日をアクティブに過ごしたい人に向けた新しい発想の『青のユンケル』が加わりました。